top of page
アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
ケ 小原茂さん ( 『孤児編 下』 証言49 ) 高知県
「帰って来てすぐ生活保護をもらった。病気で何もできないから。国から子どもには1銭も援助ないですよ。言葉がわからないのにどうして働ける?私の生活保護で4人、苦しい生活してきました。自立指導員のO先生は、毎日中央市場へ行って、野菜売る所からいらないものをもらって来て、私たちに食べさせてくれた」
中国在住53年 戦後在住48年 最初の一時帰国から永住帰国まで17年
証言者プロフィール
1933(昭和8)年 高知県安芸(あき)郡土居村で生まれる
1940(昭和15)年 7歳 両親、兄、妹、弟の6人で渡満 柞木台(サクボクダイ)土佐郷(とさごう)開拓団へ
1年5か月後母が病死
1945(昭和20)年 12歳 兄が入隊後病死 8月10日に父が出征 終戦 妹と弟を連れて逃避行
方正(ホウマサ)県に行き、伊漢通(イカンツウ)開拓団跡の収容所で冬を過ごす
翌春方正の収容所へ移動
1946(昭和21)年 13歳 中国人の家に3回売られる 妹と弟も売られ、妹16歳、弟20代で病死
1947(昭和22)年 14歳 3軒目に売られた家の次男と結婚 (子どもは5人 うち2人は死亡)
1974(昭和49)年 先に帰国した知り合いを通じて日本の親戚と連絡がつく
1976(昭和51)年 43歳 1回目の一時帰国
1988(昭和63)年 55歳 2回目の一時帰国
1993(平成5)年 60歳 永住帰国(国費) 次男家族3人も一緒に帰国(自費)
1995(平成7)年 62歳 長女家族と夫が帰国
インタビュー 2015年4月27日 82歳 場所 証言者のご自宅
bottom of page