top of page

証言 マさん残留婦人

2015年11月 山梨県で中国残留婦人にインタビュー。腰痛のため起きてインタビューに応えるのは困難とのことで、ベッドの中でのインタビューとなった。

 大正14年、勝沼生まれ。インタビュー時91歳。家にいるのが嫌で一人で満州に行った。
ソ連の兵隊は腕時計をよこせと言って、腕にも沢山つけて喜んでいた。終戦の時19歳。中国のおじいさんとおばあさんの家に逃げ込んだ。
 中国人と結婚し、子供は6人生まれた。火箸を焼いて顔に火傷の傷を付けられた。自分が逃げては困るという考え方からだった。ずっと畑に出て働いていた。長年農業をしていた。子供は姑がみてくれた。文化大革命の時、辛かった。77歳で永住帰国。夫も呼び寄せ、徐々に子供達も呼び寄せる。
 一番大変だったのは、ソ連兵が入ってきたとき。一番怖かった。今はひ孫もいる。子供の頃勝沼で遊んだことが一番幸せだった。「運が悪いから」
 
 コーリャンで囲ってあるトイレで、月経の汚れ物を拾って、ソ連兵から逃れた。これが一番苦労だった。泣いても泣ききれない。知恵があったから助かった。みんな遊んでから殺すからね。
bottom of page