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No.47   原田育子さん  ( 『 孤児編 下』 証言52 )  福岡県  

「順番で殺していったんですが、途中鉄砲の弾がなくなってしまって。それから殺す手段が、鉄砲から軍刀になりました。私のお母さんは、一番最初に軍刀で…。軍刀持つ偉そうな人にね。斬られて亡くなりました。2番目は弟。当時、8歳くらいだったかな。もう一人の弟も妹2人も斬られた。私も最後に斬られました」

 

中国在住38年 戦後在住38年 一時帰国から永住帰国まで不明

証言者プロフィール

1933(昭和8)年 6月 山口県下関で生まれる 両親、兄、妹2人、弟2人の8人家族

1945(昭和20)年  春 11歳 兄以外の家族と親戚とで渡満 黒頂防長(コクチョウボウチョウ)開拓団へ 

                                直後に父が徴兵される

                               8月 12歳 終戦前にソ連軍の襲撃に遭い、逃避行が始まる 14日に集団自決 

                                妹と2人、中国人の兄弟に助けられる 

1949(昭和24)年 16歳 助けてくれた中国人と結婚(子どもは8人)

   (不祥)    1978年頃 一時帰国

1983(昭和58)年 末娘と共に永住帰国(自費)

1985(昭和60)年 夫を呼び寄せる その後、子どもたち家族も呼び寄せる(自費)

 

インタビュー 2017年4月27日      83歳  場所 証言者のご自宅

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