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No.31  佐藤安男さん(『孤児編  上』証言11)山形県

「『30万円出さないとパスポートは返しません』って。30万出して、パスポート返してもらったの。半年間、左官屋で働いたけど、30万払ったから、仕事はしてないと同じよ。そのときは警察に行くってことも考えられなかった」

 

中国在住38年 戦後在住33年 一時帰国を永住帰国に切り替える 

証言者プロフィール

1937(昭和12)年 7月3日、山形県高畠町の生まれ 

1940(昭和15)年 3歳 祖父、両親、兄、弟2人と共に渡満 板子房(バンズファン)開拓団

           祖父が死亡 本人だけを残し両親、兄、弟2人は一度日本に戻る 妹が生まれる

                               兄だけ日本(母の実家)に残り、5人で再び満州へ

1945(昭和20)年 8歳 終戦 父は終戦の2~3か月前に召集され、戦後シベリアから帰国 

            開拓団員が小学校に集まり火をつけ自決 三十数名が小学校から逃げ出し逃避行 

                                途中で妹が殺され、その後母が死亡 弟2人がそれぞれ別の家にもらわれる 

          本人も10月ごろ中国人の養子になる

1955(昭和30)年 18歳 養父母に女の子が生まれる

1961(昭和36)年 24歳 結婚(子どもは男の子3人) 文化大革命のとき養父母はつるし上げを受ける

1977(昭和52)年頃 中国大使館に手紙を出す 実父が日本で生きていて身元が判明

1978(昭和53)年 41歳 長男と次男を連れて一時帰国(国費) その後永住帰国に切り替える

           妻と三男を呼び寄せる(自費) 設備関係、壁の塗装、パン屋、弁当屋、会社などで57歳まで働く 

2005(平成17)年 68歳 残留孤児裁判を始める

2007(平成19)年 70歳 和解 翌年から支援金を受給

 

インタビュー 2016年11月1日  79歳  場所 証言者のご自宅

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