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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
フ 池田忠さん(仮名) ( 『孤児編 上』 証言19) 山梨県
「家の中では日本語で話す。子どもみんな日本語。おかしいのは親の方。まだ覚えられんから。俺、来たときはわかるような気がして、でもわからない」
中国在住40年 戦後在住35年 一時帰国から永住帰国まで7年
証言者のプロフィール
1935(昭和10)年 山梨県で生まれる
1040(昭和15)年 5歳 両親、妹と共に4人で渡満 日高見(ひだかみ)開拓団へ 満州で弟と妹が生まれる
1945(昭和20)年 10歳 7月ごろ父は召集(5年間のシベリア抑留後帰国して再婚)
終戦 母、兄弟と逃避行 依蘭県の開拓団跡を転々とする 妹1人と母が死亡
兄弟3人だけになり、それぞれ中国人の家の養子になる
(不詳) 小学校卒業後1年で学校の先生になる 2年後郵便局で、その後帰国まで役場で働く
1958(昭和33)年 23歳 結婚(子どもは5人)
1973(昭和48)年 38歳 一時帰国 再婚した父親の所に3~4か月滞在
1980(昭和55)年 45歳 家族と共に永住帰国
インタビュー 2015年11月27日 80歳 場所 証言者のご自宅
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