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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
I 池田 肇さん ( 『 孤児編 上』 証言22 ) 長野県
「母親は覚悟を決めて、3人一緒に、そこへ入った。母親は37~38歳ぐらいで、ひと冬のつもりが、30年間ずっとお世話になって。もう、全然帰れなんで」
中国在住33年 戦後在住29年 一時帰国なしで永住帰国
証言者プロフィール
1936(昭和11)年 長野県泰阜(やすおか)村に生まれる
1940(昭和15)年 4歳 母と妹と渡満 父のいる大八浪(タ―パラン)泰阜村開拓団へ
1945(昭和20)年 9歳 終戦 4月に父は招集され、シベリアで死亡
閻家(エンジャ)駅で汽車に乗れず、母、4歳の弟、1歳半の弟、伯父と一緒に逃避行
途中で1歳半の弟は死亡 4人で方正(ホウマサ)の収容所へ
母親は子ども2人を連れて、中国人の漢方医と結婚 翌年、弟死亡 母は30年間ここで暮らす
1947(昭和22)年 11歳 引き揚げようとしたが、中国の役人に阻止される
1954(昭和29)年 18歳~21歳 林業局に出稼ぎに出る
1956(昭和31)年 20歳で日本人の残留孤児(渥美大島出身)の女性と結婚 (子どもは4人)
1957(昭和32)年 21歳 人民公社に就職
1974(昭和49)年 11月 38歳 母、妻、子ども4人と共に永住帰国(国費) 長野県の泰阜村に住む
1995(平成7)年 妻の2番目の弟が永住帰国、その後3番目の弟も帰国
2009(平成21)年 妻が亡くなる
インタビュー 2013年9月18日 77歳 場所 証言者のご自宅
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