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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
証言 ムさんの場合
2015年11月 長野県で中国残留邦人にインタビュー
昭和6年阿南町生まれ。実家は農業。男兄弟が5人だった。
満州に行くきっかけは、近隣町村の長が満州に視察に行ってきて、うちの村長は行かないと言っていたが、泰阜村の分村と一緒に行くことになって一家で行くことになった。
9歳で渡満。妹3人、弟一人いたが、弟は行く前に病気で亡くなる。敦賀から清津を経て満州へ。中国人の集落に入って生活した。食事は共同だった。1年くらい住んでいた。その後日本人の家もできた。個人の生活ができるようになった。コーリャン,ひえ、あわ、大豆、トウモロコシ、米など作っていた。学校が遠かったので通えなかったため、寄宿舎に入った。学校で畑を作るようになって、午後は畑仕事をした。
8月10日に父親に召集令状が来た。14歳で終戦。父親に「母親と妹たちを守ってくれ」と言われたのを覚えている。
後でわかったことだが、父親は牡丹江に行き貨物列車でシベリア行き。翌年栄養失調で亡くなったということでした。帰国後、厚生省、法務省に「なぜ、8月10日に招集したんだ」とぐだってきたことがある。
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