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証言 メさんの場合

2016年1月 東京都でサハリン残留邦人にインタビュー

  1942(昭和17)年生まれ。インタビュー時74歳。サハリンに生まれた。3歳ぐらいで韓国人にもらわれた。4歳頃近所の人に捨て子だと教えられた。子どもは私1人だった。養父は少し優しかったが、養母は優しくなかった。朝鮮学校に7年生まで行った。朝鮮の先生は日本語を話すと怒る。棒で叩かれ、勉強することができないように、一日立たされた事もあった。ロシア人が入ってきて朝鮮人の先生はいなくなった。高校はロシア人学校だった。スポーツや遊びは楽しかった。養母は厳しく、家に入れてもらえないこともあった。

  17歳(1959年)韓国の新聞社で仕事をした。仕事は楽しかった。主人と出会い結婚した。夫が結婚の申し込みををしたとき、養父母は、日本に行くならダメと言われた。2人で街を歩いているとき、偶然本当の両親の2階に住んでいた人に声をかけられた。でも、両親のことは教えてくれなかった。子ども3人と大陸に引っ越した。農業体験はなかったが、農業もした。ロシア国籍は81年にロフトフに来てからとった。 子ども3人と62歳で永住帰国。日本語が一番大変。所沢にある中国帰国者定住促進センターで半年日本語を勉強。その後市ヶ谷に3年通い勉強した。勉強はしたい。家の中ではロシア語、朝鮮語、日本語いろいろ使う。ソ連時代は良かった。物価も安く、子どもの教育はお金がかからなかった。仕事も世話してくれた。福利厚生も良かった。ロシア時代は生活が大変。医療費がかかるようになり、年金は減らされた。ゴルバチョフ時代に日本と行き来もできて。日本に帰ってきて、今が一番幸せですね。


 

 

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