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 No.2  島田登美子さん ( 『孤児編  上』 証言18)  山梨県

「その伯父さんが、そん中で『お前達早く死ね』って言って、日本刀で全部殺しちゃった。火が燃えていて、私の目の前で、みんな死んじゃったもん。31人ね。それから、伯父さんはどこか行っちゃったの。自殺しないで、自分は逃げちゃったの」

 

中国在住47年 戦後在住39年 一時帰国から永住帰国まで4年 

証言者プロフィール

1935(昭和10)年 山梨県で生まれる

1937(昭和12)年 2歳 兵隊として牡丹江省(ボタンコウショウ)にいた父に会うため、母、姉2人と渡満 

1939(昭和14)年 5歳 父が除隊して電話会社勤務 その後弟と妹が誕生

1945(昭和20)年 10歳 7月頃、父が根こそぎ動員で部隊に戻る(その後帰国)        

           8月14日 庭の防空壕に31人で避難中、毒ガスを入れられる 

                               防空壕内にいた人たちは伯父に日本刀で斬り殺されたが、奇跡的に本人だけ助かる

                               中国人の家で暮らすが養母にいじめられ別の中国人宅へ そこで10年間暮らす

1955(昭和30)年 20歳 結婚(子どもは2人) 3年後に夫は病死

1962(昭和37)年 27歳 牡丹江(ボタンコウ)の中国部隊の病院で、通訳をする

1970(昭和45)年 35歳 再婚(子どもは4人) 

1980(昭和55)年 45歳 子ども3人と一時帰国 父親の看病をする

1984(昭和59)年 49歳 夫婦と子ども4人で永住帰国 のちに長女一家と長男一家も帰国(自費) 

           山梨県に住み、弁当屋で夜勤を10年、旅館で10年、日本料理屋で4年勤務

2000(平成12)年 65歳 夫が死亡

2009(平成21)年 74歳 生活保護受給開始

 

インタビュー 2015年11月26日 80歳  場所 入院中の病院

 
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