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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
ミさんの場合【中国語と日本語】
2015年11月 山梨県で中国残留孤児にインタビュー
昭和16年生まれ。インタビュー時74歳。終戦時4歳。高熱で死にそうになっていたところ、養父の所に貰われていった。食べ物が口に合わなかった。最初の記憶はお粥を食べさせて貰ったこと。麺類を細かくして煮たものなどを食べさせてくれた。商業学校にも行かせてもらえた。商業学校を出てから商店で会計の仕事をした。養父母には、ほかに子供はいなくて、大事にしてくれた。養父は駅で仕事をしていた。
終戦直後、駅で働いていた養父が「病気でかわいそうだから、子供を私に預けろ」と言って、和服で包んであった自分を貰ったそう。お母さんはそのまま日本に帰国できた。
18歳で結婚。子供が三人生まれた。
自分が残留孤児ということは、自分が40歳過ぎた頃、養父が病気になった時、大勢いるところで言ったのでわかった。しかし、その時は信じられず、絶対父の本当の子供だと思っていた。
88年の一時帰国の時、空気も人も良くて日本が気に入った。2000年永住帰国。
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