アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
ネ 木口屋菊夫さん・桂子さん(『孤児編 上』証言5)北海道
「もらわれていった家は全部、農家ね。毎日が草取り、一年中草取り。なんか畑にばかりいた。学校は4年まで行った。1年に何か月か仕事ないときに行って、仕事あったら、もう行かない」
夫:中国在住34年 戦後在住31年 一時帰国を永住帰国に切り替える
妻:中国在住33年 戦後在住31年 一時帰国を永住帰国に切り替える
証言者プロフィール
【木口屋菊夫さん】
1939(昭和14)年 鹿児島県で生まれる
1942(昭和17)年 3歳 両親と姉の4人で渡満
1945(昭和20)年 6歳 終戦 父は終戦直前に召集されシベリアへ
母と姉と3人で逃避行の末、方正(ホウマサ)の収容所へたどり着く
避難所で母が亡くなり、姉と別々の中国人の家庭に引き取られる
(不詳) 親同士が決めた相手(桂子さん)と結婚 子どもは5人
1976(昭和51)年 12月 37歳 妻、子どもと共に北海道網走津別(あばしりつべつ)町に一時帰国
その後、永住帰国に切り替える 土木の仕事を68歳まで続ける
【木口屋桂子さん】
1943(昭和18)年 満州で生まれる 3姉妹の末子 父は校長
1945(昭和20)年 2歳 終戦 父は戦後シベリアへ連行され、3年後帰国
母が亡くなり、3姉妹はそれぞれ別の中国人の家庭に引き取られる
(不詳) 養親同士が決めた相手(菊夫さん)と結婚
1975(昭和50)年 12月 32歳 一時帰国
1976(昭和51)年 12月 33歳 夫、子ども5人と共に一時帰国 その後、永住帰国に切り替える
あめ屋、コロッケ屋、病院の厨房などで62歳まで働く
インタビュー 2015年8月25日 菊夫さん 76歳、桂子さん 72歳 場所 証言者のご自宅