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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.36 浅黄勉さん(『孤児編 上』証言8)山形県
「周りの人は俺を中国人と思っているの。そんなわけないべ。役場の人も変な顔してよ。何だと思って。ひでえもんだよ」
中国在住35年 戦後在住30年 一時帰国なしで永住帰国
証言者プロフィール
1937(昭和12)年 栃木県足尾銅山で生まれる
1940(昭和15)年 3歳 家族で渡満 依蘭県(イランケン)北靠山屯(キタコクサントン)開拓団へ
1945(昭和20)年 8歳 終戦 父は5月に召集(3年後ロシアから帰国 その後再婚)
祖父母、母、妹3人と共に方正(ホウマサ)へ逃避行 収容所で末妹、死亡
母と妹2人と共に中国人に引き取られるが、その後、妹2人死亡
1975(昭和50)年 4月 38歳 妻と子ども5人と共に永住帰国(国費) その後、母も帰国
帰国して2か月後に手術 退院2か月足らずで製靴会社で働き始め、20年間勤める
インタビュー 2016年11月3日 79歳 場所 証言者のご自宅
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