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52 井出誠介さん(『孤児編 下』証言55) 熊本県

「(上の子は)日本語は一時帰国の前から日本語学校で勉強してましたから、日本に来てすぐ看護学校の試験を受けて、入ったんです。昼病院で働いて、夜間の准看学校。(中略)家内は『日本に来て、言葉も仕事も上手じゃなくて、体もぼろぼろになった』と話してます。(中略)戦争がなければ、私も、こういう運命じゃなかった」

 

中国在住43年 戦後在住38年 一時帰国から永住帰国まで3年

証言者プロフィール

1937(昭和12)年   2月 熊本県天草の新和町小宮地に生まれる 

1940(昭和15)年     3歳 両親、兄と弟5人で渡満 北安省(ペイアンショウ)海倫(ハイロン)へ 

             父は興農合作社(こうのうがっさくしゃ)の職員

1941(昭和16)年頃  北安省嫩江(ノンジャン)に引っ越す

             嫩江の小学校入学後2~3か月で黒河省(コッカショウ)愛琿(アイグン)に、その数か月後に黒河省の

             黒河に引っ越す  一番下の弟が生まれる         

1945(昭和20)年  8歳 8月9日ソ連侵入により逃避行 12日北安(ペイアン)到着直後に父が召集される

             終戦 新京(シンキョウ)に移動し郊外に集団で住む 一番下の弟が病死

             鉄西(テツニシ)に移動 転々とした後、12月ごろ兄を残して母と弟と3人で病院に入る  

           病院で弟と母が死亡 兄と2人で鉄西郊外の中国人の家にもらわれる

          その後、本人だけが陽士屯(ヨウシトン)の田舎の家にもらわれる 兄は逃げ出し日本に帰国

           養父母と奉天(ホウテン)に引っ越すが、逃げ出して陽士屯に戻り別の家の養子になる

1954(昭和29)年   17歳 合作社(1958年からは人民公社)に入る トラクターの運転免許を取得

1963(昭和38)年   紅十字社に肉親捜しを依頼

1964(昭和39)年   中国人女性と結婚(子どもは2人) 日本に帰国していた兄と連絡がつく

1980(昭和55)年   43歳 家族全員で天草に一時帰国 

1983(昭和58)年   46歳 12月に家族全員で永住帰国 

           布団の会社、スーパー、自動車整備会社で定年まで働く

 

インタビュー 2015年5月7日 80歳  場所 証言者のご自宅

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