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K 高島金太郎さん  ( 『孤児編  上』 証言21) 長野県

「ほいで、その家へ行ったんだに。この人、本当いい人でな。子どもがないで、俺に『子になってくろ』ってな。怒ったことがなくて、大事にしてくれた」

 

中国在住33年 戦後在住27年 一時帰国なしで永住帰国

証言者プロフィール

1933(昭和8)年 長野県泰阜(やすおか)村で8人兄弟の八男として生まれる 

1939(昭和14)年 6歳 両親と下の兄弟4人の6人で渡満 大八浪村(ターパラン)泰阜村開拓団へ

1945(昭和20)年 12歳 終戦 終戦直前、一緒に渡満した五男、六男の兄が召集されシベリアへ

           両親と七男の兄と共に4人で逃避行 駅で列車に乗れず方正へ行く

           方正の収容所で両親と兄が亡くなり、養父母に引き取られる

                               その後、五男の兄は昭和22年頃日本へ帰国、六男の兄はシベリアで病死

         (不詳)   同じ残留孤児の日本人女性と結婚 この間、日本の兄と文通 

1972(昭和47)年 7月 39歳 日中国交回復の直前、妻と子ども5人と共に7人で永住帰国(自費) 

           妻の身元が判明 長野県泰阜村に住み、機械関係の仕事に就き定年まで勤める

2013(平成25)年 80歳 子ども5人、孫10人、ひ孫2人が集まり、傘寿を祝う

 

インタビュー 2013年9月15日 80歳  場所 証言者のご自宅

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