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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
W 江本三男さん ( 『 孤児編 上』 証言30 ) 長野県
「養父母には、子どもが3、4人おるで、自分の家の子どもたちが学校行ったら、俺だけ働かしょうと思って、もらったようだ。私は、労働力として働かされたっていう感じだら」
中国在住34年 戦後在住30年 一時帰国なしで永住帰国
証言者のプロフィール
1936(昭和11)年 3月 長野県佐久市望月(もちづき)町で生まれる 両親、姉、兄2人、本人、妹、弟の8人家族
1941(昭和16)年 5歳 家族全員で渡満 小古洞(ショウコドウ)蓼科郷開拓団へ
1944(昭和19)年 8歳 父親は召集 シベリヤ抑留後、帰国し再婚
1945(昭和20)年 9歳 終戦 幹部が開拓団の本部らしき所に団員を集め、閉じ込めて放火し殺害
1946(昭和21)年 3月 10歳 元の開拓団へ戻るが、母が亡くなる
兄姉弟妹は、各中国人の家庭へ(姉が亡くなる) 自分も労働力として中国人の家へ
1951(昭和26)年 15歳 国営の林業の企業に就職 帰国するまで勤務
1958(昭和33)年 22歳 日本人の残留孤児の女性と結婚(子どもは6人)
1975(昭和50)年 39歳 家族全員で永住帰国 (国費) 長野県泰阜(やすおか)村に住む
プレス、基板印刷の仕事に就く 23年間退職まで勤める
1987(昭和62)年 12月 51歳 現在地に引っ越す
インタビュー 2013年11月5日 77歳 場所 証言者の自宅
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