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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
証言 Bさん 萱沼康晴さん ( 『孤児編 上』 証言 37 ) 埼玉県
「母親は2番目の弟を連れてそのうちへ行って、私と3番目の弟は別々の中国人に引き取られたんですよ。私10歳、弟は8歳と7歳でした。母親はいろいろ苦労しましたので、中国人の所へ行って、ひと月経たないうちに病気で亡くなりました」
中国在住35年 戦後在住35年 一時帰国なしで永住帰国
証言者プロフィール
1935(昭和10)年 10月 山梨県都留(つる)市で生まれる 家族は両親と男の子5人兄弟
1945(昭和20)年 10歳 5月渡満 三江省(サンコウショウ)依蘭県(イランケン)広富山(コウフサン)南都留郷開拓団へ
8月10日に父が召集される 終戦 避難所で弟2人死亡
母と兄弟3人別々の中国人に引き取られる 母は1か月後に死亡
1956(昭和31)年 21歳 ハルピンに出て水道局に就職 測量の仕事を帰国まで続ける
1957(昭和32)年 22歳 残留孤児の女性と結婚(子どもは4人)
1965(昭和40)年 30歳 文化大革命のとき、日本人とわかり2年間労働改造所へ送られる
1977(昭和52)年 42 歳 日本大使館に手紙を出す 日本戸籍が確認される
1980(昭和55)年 44歳 先に帰国していた弟が身元保証人となり、家族全員で永住帰国(全員国費)
建築の仕事をして66歳まで働く
インタビュー 2013年9月 78歳 場所 証言者のご自宅
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