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証言 テさん残留婦人

2015年8月 北海道で中国残留孤児・残留婦人にインタビュー

インタビュー時89歳。愛知県生まれ。父は復員後、大連のホテルに勤務。家族を呼ぶ。村で仕事がない人を大連に連れて帰る時、一緒に連れて行かれた。15歳になっていた。11人兄弟の兄は2回目の召集。9月22,3日にソ連軍が大連に入ってきた。トラックに載せられたら大変なので隠れていた。
周りの事情で強く勧められ12月23日結婚。
 兄は大連の大和ホテル洗濯部で働いていた。小学校を卒業していた私は村の知人に連れられて兄のいる大連に連れて行ってもらった。私も大和ホテルで働いた。兄は二度目の招集でいなくなった。昭和20年9月22,23日、ソ連軍が大連に入ってきた。20歳だった。女を見たら捕まえた。トラックの木の箱に入れて鍵をかけて連れて行かれた。アパートに隠れていた。12月23日、中国人と結婚した。ガラス屋だった。日本人の表札は外してそこの見習いだった中国人の名前を掲げた。その人と結婚した。兄が日本に一緒に帰ろうと言ってきた。兄は結婚の話が進んでいることを知らなかった。兄は「親になんと言えるか。お前は死んだことにする」と言った。塚本さんを助けるため、結婚をした。引き揚げに乗れるまで、奥さんは苦労した。キャバレーで働いたりした。
 結婚して長く中国に居ようとは思わなかった。戦争があったから結婚した。必ず日本に帰ると簡単に思っていた。そのうち子供ができた。最初の子は早産で亡くなり、二人目も流産。三人目は今中国で元気に暮らしている。長男、次女は中国に残っている。
 文化大革命の時、ガラス屋は合併して公社方式にしなければならないので、政府にすべて出さなければならないのに、出さないので、監禁されたり反革命分子として思想改造で吉林省の荒れ地に飛ばされた。日干し煉瓦を作って家を建てた。雨の日に家は壊れた。ポンプも各戸になかった。
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