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コ  高橋公子さん  ( 『孤児編  下』 証言48 ) 高知県

「役場の福祉課の方が家へ来て、『高橋さん、仕事探してもらえんかい?』って。『私、足がまだ治らんからね、もちょっと待ってもらえんろか』と。『あんた、仕事できないんだったら、中国の子どもの所、帰ってもらうしかない』って言われた。ひどいろう?それ、国が認めてないから、下が平気で言うのよ。乞食扱いしてるの。私、満州行ったときから、ずうっと日本国籍。まだ南国市に戸籍もあるの。それなのに、『向こうに帰ってもらうしかない』って言われて、私、ほんとに死のうかと思うたけんど。悲しい、悲しい」

 

中国在住36年 戦後在住35年 2回目の一時帰国(自費)を永住帰国に切り替える

証言者プロフィール

1937(昭和12)年 高知県長岡郡本山町で生まれる 両親、母方の祖母、本人、妹の5人家族

1944(昭和19)年 4月 家族全員で渡満 

          北安省(ペイアンショウ)慶安県(ケイアンケン)柞木台(サクボクダイ)土佐郷(とさごう)開拓団へ                                到着して間もなく妹が死亡

1945(昭和20)年  8歳 終戦  逃避行の途中で父と祖母が死亡 10月瀋陽(シンヨウ)で母親と中国人の家に入る

                               11月に妹が生まれたがすぐに死亡 継父の親戚をあちこちたらい回しにされる

1954(昭和29)年 17歳 継父の所から逃げ出す のちに夫となる人のおばに引き取られる

1955(昭和30)年 18歳 結婚(子どもは5人)

1976(昭和51)年 39歳 母親と一番下の3歳の息子と共に一時帰国(国費)

1980(昭和55)年 43歳 1人で一時帰国(自費)後、永住帰国に切り替える 

1983(昭和58)年 母親が死亡

1993(平成5)年 長女一家3人と2人の息子を呼び寄せる(自費)

1995(平成7)年 夫と次女一家3人、三女一家4人を呼び寄せる(自費)

 

インタビュー 2015年4月28日 78歳  場所 証言者のご自宅

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