アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.3 島尻昇一さん ( 『 孤児編 下』 証言58) 沖縄県
「2番目の姉さんは、僕が帰っても、両親のこと、何にも教えてくれない。何も思い出したくないような深い心の傷があるんでしょう。お姉さん1人で帰ったとき、お祖父ちゃんがすぐ怒ったそうです。『なんで、1人で生きて帰って来たのか。私の孫をどうして連れて帰って来なかったのか』と」
中国在住46年 戦後在住42年 一時帰国から永住帰国まで3年
証言者のプロフィール
1939(昭和14)年 沖縄県宮古島で生まれる
1941(昭和16)年 2歳 両親、姉妹と共に家族8人で渡満
黒竜江省(コクリュウコウショウ)伊漢通(イカンツウ)開拓団へ
1945(昭和20)年 5歳 終戦 ハルピンへ 中国人宅へ引き取られる 終戦前に母、長姉、妹が死亡
次姉は1人で帰国、三姉(のち帰国)、四姉(のち死亡)も中国人宅へ引き取られる
父は召集されシベリアへ のちに帰国し再婚(70歳で亡くなる)
1949(昭和24)年 10歳 京劇の勉強を始める
1965(昭和40)年 26歳 師範大学卒業
1966(昭和41)年 27歳 幹部養成のため体育大学入学
文化大革命のとき、スパイ容疑をかけられ、初めて自分が日本人と判明
高校生と共に下放政策で農村へ 京劇で毛沢東の思想を宣伝する
(不詳) 結婚
1983(昭和58)年 44歳 12月 第4次残留孤児訪日調査団の団長として帰国、次姉と三姉に再会
1984(昭和59)年 45歳 一時帰国 長男、長女と共に半年間、宮古に滞在
(不詳) 養父86歳、養母84歳で亡くなる
1987(昭和62)年 47歳 3月 永住帰国 妻、長男、長女の家族4人で帰国(国費)
沖縄県石垣島に住む いろいろな仕事を経験 現在は本島に住む
インタビュー 2016年2月1日 76歳 場所 証言者のご自宅