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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
4 上間敏正さん ( 『 孤児編 下』 証言57) 沖縄県
「(引き上げを待つ葫蘆島(コロトウ)で)お父さんのように病気が治っていない人はそのまま残された。残された人たちは注射されて、死んだら通山(ツウサン)っていう山に埋められたって」
中国在住36年 戦後在住31年 一時帰国から永住帰国に切り替える
証言者プロフィール
1937(昭和12)年 3月 沖縄県今帰仁(なきじん)村で生まれる
1940(昭和15)年 3歳 両親、妹と共に家族4人で渡満 臥牛吐(オニュウト)今帰仁開拓団へ
1945(昭和20)年 8歳 終戦 ソ連侵攻 斉々哈爾(チチハル)の収容所へ
1946(昭和21)年 9歳 父は引き揚げのため葫蘆島(コロトウ)まで行くも、病気で死亡
母、本人、妹は収容所に残り、その後中国人の養父の家へ
1947(昭和22)年 10歳 本人だけ別の養父の家へ仕事に出される
1948(昭和23)年 11歳から2年間1人で牛馬を放牧 その間に洪水や狼に襲われる経験をする
1951(昭和26)年 14歳から町の屠殺場で働き始める 働きながら16歳まで3年間夜間の学校に行く
1955(昭和30)年 17歳 希望して回民族の部落へ行き、農業従事 21歳で団長となり、結婚
(不詳) 文化大革命頃 養父はスパイ容疑で暴行され、のち死亡
1976(昭和51)年 39歳 一時帰国 母、12歳の長女、3歳の長男と帰国(国費)、その後永住帰国へ
1977(昭和54)年 40歳 妻、次女、三女、四女帰国(自費) 新聞に家族の帰国の記事が掲載される
2002(平成14)年 65歳 交通事故に遭う もらった見舞金で葫蘆島(コロトウ)へ行き、父の墓参りをする
インタビュー 2016年2月3日 78歳 場所 証言者のご自宅
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