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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.27 笹原キヌコさん(『孤児編 上』証言10)山形県
「税関では3人で1万円しか両替してくれなかったの。どんなして生活します?支度金みたいなの何もないよ。市役所に行って相談したら『自費で帰ってきたんだから自分たちで解決しなさい 』って門前払いよ、冷たいでしょ」
中国在住39年 戦後在住35年 一時帰国から永住帰国まで6年
証言者プロフィール
1933(昭和8)年 山形県上山(かみのやま)市で生まれる 両親と姉妹の8人家族 6姉妹の5番目
1941(昭和16)年 7歳のとき家族で渡満 大平山(タイヘイザン)開拓団へ
1945(昭和20)年 12歳 終戦 父母、長姉、姉の子ども2人、三姉、妹と共に方正(ホウマサ)の収容所へ
収容所で両親と長姉の子どもが死亡 妹を中国人に預ける
長姉は腸チフスで亡くなり、三姉は中国人と結婚、本人は地主の家で働く
1947(昭和22)年 14歳 地主の家を逃げ出し、頼った三姉に売られ、人民政府に助けを求める
ハルピンの八路軍に入隊 保母、宣伝隊、衛生兵の仕事をする
1953(昭和28)年 21歳 武漢の病院で看護婦、鍼灸師として働く
その後、中国人医師と結婚(子どもは2人)
文化大革命のために離婚 子どもを引き取り育てる
1974(昭和49)年 41歳 1人で一時帰国(自費)
1980(昭和55)年 47歳 子ども2人と共に永住帰国(自費)
インタビュー 2016年10月30日 83歳 場所 証言者のご自宅
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