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No.30   手塚智恵子さん  ( 『孤児編 上』  証言16 )   山形県

お母さんは、私が帰って来る1年前に亡くなっていた。自分を売ったお母さんに対して恨みごとはない。もう少し早かったら会えたのにと、悔しかった。お母さんに会いたかった」

 

中国在住37年 戦後在住33年 一時帰国を永住帰国に切り替える 支援金は受給していない

証言者プロフィール      

1941(昭和16)年   8月1日満州の開拓団で生まれる 家族は両親と姉3人兄2人と本人の8人

1945(昭和20)年   4歳 終戦 父が死亡 食料と交換に中国人の養子になる 

             母と兄姉たちは帰国 帰国の船の中で妹が生まれる

1949(昭和24)年頃  養父が死亡 養母が再婚

1957(昭和32)年   16歳 継父の息子と結婚(子どもは8人 そのうち2人は死亡)

1978(昭和53)年   37歳 1人で一時帰国(自費) 義兄が保証人となり永住帰国に切り替える

             生活を切り詰め中国に仕送り 

1981(昭和56)年頃  同じ職場の日本人と結婚

1983(昭和58)年頃  4番目の息子とその家族を呼び寄せる(自費)

1993(平成5)年   長女家族5人と末子を呼び寄せる(自費) その後、残りの子どもたちとその家族を呼び寄せる(自費)

 

インタビュー 2016年11月1日   75歳  場所 証言者のご自宅

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