top of page
アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.51 重山 厚さん ( 『 孤児編 下』 証言47 ) 広島県
「養父母はかわいがってくれました。ただ、時々、養父母は引っ越しをしてました。日本人の子どもを育てていることが分かると、中国の村の中では生活するのが難しかったんでしょうね」
中国在住52年 戦後在住48年 一時帰国から永住帰国まで2年
(広島県原告団長)
証言者プロフィール
1935(昭和10)年 鳥取県で生まれる
1941(昭和16)年 6歳 祖父、祖母、両親と共に家族5人で渡満
三江省(サンコウショウ) 樺川県(カセンケン) 七虎力(シチコリキ)開拓団へ 弟と妹2人が誕生
1945(昭和20)年 10歳 終戦 閻家(エンジャ)駅の近くで中国人の襲撃を受ける
一番下の妹(2歳)と2人だけ生き残り、養父母に引き取られる
(不詳) 大平村で小学校2年生~3年生の勉強、七台河(シチダイガ)で5~6年生の勉強をする
(不詳) 勃利(ボツリ)第一中学校、ハルピンの建築の専門学校を卒業 ホウトの鋼鉄公社に勤務
1965(昭和40)年 30歳 中国人の女性と結婚(子どもは3人)
1976(昭和51)年 唐山市(トウザンシ)大地震後の鉄道建設のため、唐山市に転勤 ホウトから合計32年勤務し退職
1991(平成3)年 56歳 一時帰国(国費)
1993(平成5)年 58歳 永住帰国(国費) 妻と娘3人と共に帰国
インタビュー 2017年4月30日 82歳 場所 証言者のご自宅
bottom of page