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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.50 冨樫ムツ子さん(『孤児編 下』証言45) 広島県
「うちのお姉ちゃんはまだあの頃若かったからね、皆さん知ってる人は頭を坊主にしてたけど、うちのお姉ちゃんは知らんかった。うちの親も知らんかったんだろうよ。髪を残したまんまで。それでロシア兵に連れて行かれた。お姉ちゃんは21歳だったかな」
中国在住35年 戦後在住35年 一時帰国から永住帰国まで2年
証言者プロフィール
1934(昭和9)年 広島県山県郡の戸河内町で生まれる 父の仕事で3歳のとき兵庫県豊岡市に引っ越す
1945(昭和20)年 3月 10歳 両親、伯母夫婦、伯母夫婦の養女になっていた姉(20歳)と6人で渡満
山県郡の太田郷開拓団に付いて東安省(トウアンショウ)密山県(ミツザンケン)へ
13歳上の兄は2年前から満ソ国境の軍隊 (終戦後2年間のシベリア抑留後帰国)
8月9日ソ連軍の侵入 牡丹江まで逃げるも爆撃され、ハルピンへ 叔母と姉が死亡
1946(昭和21)年 3月 母が死亡 4月 中国人の家の養女になる
1953(昭和28)年頃 19歳で結婚(子どもは男の子2人)
武漢市(ブカンシ)に移り、百貨店の店員、会社のアナウンス、事務などの仕事をする
1978(昭和53)年 44歳 すでに帰国していた兄の所在がわかる 兄が手続きをして一時帰国
1980(昭和55)年 46歳 兄が保証人となり次男と永住帰国(自費) おじの会社で働く 夫と長男は中国に残る
インタビュー 2017年4月30日 83歳 場所 証言者のご自宅
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