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No.28 高橋令子さん ( 『孤児編  上』 証言12) 山形県

「終戦後の帰りたかったとき帰れなくて、今になって、子どももいるし家庭も持ってるし。『家庭壊すのか』って思った」

 

中国在住56年 戦後在住49年 一時帰国から永住帰国まで14年  

証言者プロフィール

1935(昭和10)年 2月13日、山形県山辺で生まれる 

1938(昭和13)年 3歳 母と兄2人とともに渡満 北五道崗(キタゴドウカン)山形郷開拓団へ 

                                (父は2年前に渡満 兄1人は日本に残る)

1942(昭和17)年  妹が生まれる

1945(昭和20)年 10歳 終戦 逃避行の途中に父が、奉天(ホウテン)の難民収容所で兄2人が死亡 

                                妹が中国人にもらわれる 母が死亡 本人も中国人にもらわれ養父母の店で働く

1949(昭和24)年 養父母が店をやめ山東省に移る 農業を手伝う

1955(昭和30)年 人民公社に入り、村の団体で縫製の仕事をする 大躍進のときは鉱山の仕事

1961(昭和36)年 中国人の孤児と結婚(子どもは4人)

1980(昭和55)年 45歳 1回目の一時帰国 長男(15歳)と長女(12歳)と共に6か月伯父の家に滞在

           永住帰国を希望するも、保証人になる人がおらず帰国できず

1992(平成4)年 57歳 2回目の一時帰国

1994(平成6)年 59歳 特別保証人制度により永住帰国 蔵王温泉のホテルで住み込みで働く

 

インタビュー 2016年10月28日  81歳  場所 証言者のご自宅

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