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No.55     川添緋沙子さん  ( 『孤児編  下』 証言53 )   福岡県

「師範学校に行くとき、養父は、『私があんたを救ったのは、私の老後を見てもらうためではなくて、頑張って勉強して、社会に役立つ人になってほしいからだ。頑張りなさい』と、何も自分の利益を考えないで言ってくれました。そのとき、私は本当に感動しました」

 

中国在住57年 戦後在住48年 一時帰国から永住帰国まで3年

証言者のプロフィール

1936(昭和11)年   3月 吉林省(キツリンショウ)延吉市(エンキツシ)で生まれる 

                               父は軍事郵便局に勤務、哈爾濱(ハルピン)、林口(リンコウ)に転勤

1945(昭和20)年  9歳 8月 ソ連の爆撃に遭い逃避行

                               牡丹江(ボタンコウ)の難民収容所で母が出産後亡くなる

           哈爾濱(ハルピン)へ移動中、父が生まれたばかりの妹を中国人に預ける

           10月 哈爾濱(ハルピン)の花園小学校[*]の難民収容所で父が亡くなり、養父に引き取られる

1947(昭和22)年 人口調査のとき、日本国籍を取得

1949(昭和24)年 13歳 瀋陽(シンヨウ)の夜間学校へ入学 

1951(昭和26)年 15歳 12月 山東省(サントウショウ)青島(チンタオ)市で養母と暮らし始める

1952(昭和27)年  1月 青島(チンタオ)の小学校6年生に入学 夏に師範学校に入学 

1955(昭和30)年 19歳 師範学校を卒業後、山東省の小学校教師になる

1957(昭和32)年 20歳 1月 結婚 (子どもは2人) その数年後、養父が亡くなる(73歳)

1966(昭和41)年 文化大革命で拘束、つるし上げに遭う 下方政策により、家族は10年間別居

1973(昭和48)年 日本の本籍、親戚もわかるが、身元保証人になってくれる人がいないことがわかる 

1987(昭和62)年 51歳 養母が亡くなる(89歳) 日本の戸籍が抹消されていることが判明

1989(昭和64)年 山東省で厚生省が開いた、残留孤児の代表を集めた会議に出席  

1990(平成2)年 54歳 一時帰国して、特別身元引受人を募集 

1993(平成5)年 11月  57歳 夫(57歳)、長男(19歳)と共に永住帰国(国費)

1994(平成6)年 9月 長女(34歳)の家族3人が帰国(自費)

 

インタビュー 2017年5月9日 81歳  場所 証言者のご自宅

 

[*] 現在は軍の施設となっている。

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