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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
Z 宮沢順子さん ( 『孤児編 上』 証言23 ) 長野県
「そのとき、食べる物ないもんでね、姉妹3人とも、それぞれに中国人にもらわれて行きました。上のお姉さんが9歳、2番目のお姉さんが6歳、私は5歳だった」
中国在住59年 戦後在住54年 一時帰国後8年で永住帰国
証言者プロフィール
1939(昭和14)年 10月3日 長野県天龍村で生まれる
1940(昭和15)年 1歳 両親、姉2人と共に渡満 大八浪(ターバラン)泰阜(やすおか)村開拓団へ
1945(昭和20)年 5歳 終戦 前年父が召集される
逃避行後、方正(ホウマサ)の収容所へ 9歳、6歳の姉たちはそれぞれ中国人の家へ
本人も中国人の家にもらわれるが、半年で母の元へ返される
1949(昭和24)年 10歳 母が中国人と結婚し、山東省に移り住む
1951(昭和26)年 12歳から農業をする
1958(昭和33)年 19歳 結婚(子どもは3人)
1960(昭和35)年 21歳 大飢饉のとき、母が食糧不足で死亡
1991(平成3)年 52歳 三男(12歳)と共に一時帰国 長野県泰阜村に滞在 その後2回一時帰国する
1999(平成11)年 12月 59歳 夫、次男夫婦と孫と共に5人で永住帰国(国費) 長野県飯田市在住
長男は中国に残る 次男、三男は帰国し日本国籍取得
インタビュー 2013年11月4日 73歳 場所 証言者のご自宅
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