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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
証言 Mさん<残留婦人>
2013年7月から12月まで。長野県・埼玉県・神奈川県・東京都在住の中国残留孤児・中国残留婦人・中国残留邦人へのインタビューです。
1932(昭和7)年生まれ。インタビュー時82歳 1940(昭和15)年、8歳の時、一家で満蒙開拓に。終戦時、14歳。1976(昭和51)年、一時帰国。57歳の時、永住帰国1989(昭和64年)
父は養子だったが、そこに跡取りの男の子が生まれたので、満州に行こうと思ったようだ。
駅の桜が満開の頃、満州に渡った。最初の1年はなんか落ち着かなかった。父親は、まもなく召集されるが、目が悪くいったん返される。しかし、終戦間際に二度目の召集。
逃避行の時、鉄砲玉がヒューヒュー飛んできた。山の中をええ加減歩いた。子どもをほおる人もいた。収容所近くの家で母親が亡くなる。3人一緒に中国人家庭に救われる。3人一緒でなくちゃ嫌だった。4年間養女、その後嫁になる。殴られて死んだ日本人孤児もいたが、わしの養父母は優しかった。そこでも、一所懸命働いた。昭和51年、妹と二人で、半年間の一時帰国。仕事もやった。昭和64年妹と二人で永住帰国。叔父さんが手続きなど全部やってくれた。近くの会社に60過ぎまで勤める。内職もした。徐々に子ども達を呼び寄せる。
(祝日で、ご親族が大勢集まって賑やかな中、インタビューさせていただき、ありがとうございました。)
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