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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
V 澁谷幸子さん ( 『 孤児編 上 』 証言34 ) 長野県
「養母に、『この子をとりあえず、預かってほしい。日本に戻ったら、また迎えに来るから』って、そのように泣きながら話して、私を養母に預けて、1人その家を出ました。それが1947(昭和22)年、私が1歳ぐらいの頃のことだと思います」
中国在住40年 戦後在住40年 一時帰国のビザを更新して就籍 永住帰国
証言者プロフィール
1944(昭和19)年 母は長野県阿智(あち)村出身 勤労奉仕隊で渡満
東安省(トウアンショウ)東横林(ヒガシオウリン)南信濃郷開拓団へ
1945(昭和20)年 終戦 母は林口県(リンコウケン)の中国人の家に助けられて滞在
1946(昭和21)年 11月 中国東安省林口県で生まれる 戸籍なし
1947(昭和22)年 1歳 母は自分を養父母に託し、ハルピンで帰国を待つ間に、日本人男性と結婚 弟を出産
1953(昭和28)年 母が死亡 その後、男性と弟は帰国し、男性は母の妹と結婚
1963(昭和38)年 17歳 日本人であることを高校の先生から知らされる
高校卒業直前からの「文化大革命」に参加し、20~22歳を過ごす 自動車会社に就職
1970(昭和45)年 24歳 同じ会社の元「紅衛兵」と結婚(子ども1人) その後離婚
1986(昭和61)年 39歳 娘(12歳)と3か月ビザで帰国し、ビザを更新しながら3年間滞在
1988(昭和63)年 42歳 「就籍」の形で日本国籍を取得
インタビュー 2013年11月5日 67歳 場所 証言者のご自宅
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