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証言 Hさん残留婦人

2013年7月から12月まで。長野県・埼玉県・神奈川県・東京都在住の中国残留孤児・中国残留婦人・中国残留邦人へのインタビューです。

1932年(昭和7年)生まれ。インタビュー時、81歳。1940年(昭和15年)8歳で渡満。13歳で終戦。1974年一時帰国、1985(昭和60)年永住帰国。中国在住45年。日本国籍がありながら、外国人としての法務省の対応により、「帰化」となった。

 終戦まで、開拓団の小学校の寄宿舎に入っていた。昭和19年に弟、20年に祖父が亡くなる。父親は20年の8月、召集。シベリアで強制労働の後、昭和23年帰国。姉ふたりも、開拓団を離れ電電公社に勤めていたので、昭和21年帰国。

 逃避行の末、方正の収容所へ。妹の死。家族で中国人家庭に入る。少しして、母と弟二人は、生きるため、近所の豆腐屋さんと再婚。春になったら帰ろうと。姉は次男と結婚するが、24年1月、1歳の女の子をおいて、亡くなる。同年、Hさんは三男と結婚。昭和22年に中国籍に。昭和25,6年、帰国情報が新聞に(後期集団引揚の事かと)。日本に手紙を書く。二人目を妊娠中、母と弟は帰国。

  

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