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Q 松原喜美江さん  ( 『孤児編  上』 証言 25 ) 長野県

「なんで、私たちは生きてきたかなあって思う。鉄砲が、ピャーッピャーッと、火がつくけど、私は一つも当ることなしに。ある人は立って死んじまったら。私は当たらなしに帰って来たの。神様が私を覚えとるら。何かが違う」

 

中国在住40年 戦後在住35年 2回目の一時帰国(自費)を永住帰国に切り替える 

 証言者のプロフィール

1934(昭和9)年 2月 長野県下伊那郡鼎(かなえ)村で生まれる

1940(昭和15)年  5歳 両親、1歳の弟と共に一家4人で渡満 

            延寿県(エンジュケン)中和鎮(チュウワチン)信濃(しなの)村開拓団へ

1945(昭和20)年  11歳 3月頃 後に渡満した異母兄が徴兵される(シベリア抑留後、帰国)

          終戦 両親と逃避行後、方正(ホウマサ)の収容所へ 弟は叔父と逃げる途中死亡

                                父は捕虜になるも方正の収容所に送られ、病気のため死亡 

                                母と共にトンヤンシー(童養媳)として中国人の家庭に入る 母は病気で死亡

1950(昭和25)年  16歳 結婚(子どもは6人) 中国籍へ入る        

    (不詳)    40歳過ぎに一時帰国 夫はすでに死亡 異母兄と再会 

1980(昭和55)年  46歳 出稼ぎのため自費で単身一時帰国 後に永住帰国に切り替える

                                子ども3人ずつ呼び寄せ 全員帰国する

 

インタビュー 2013年9月17日 79歳  場所 証言者のご自宅

  

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