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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.1 池田澄江さん ( 『孤児編 上』 証言40) 東京都
「朝、太陽が昇る所、あそこが日本。お父さん、お母さんはあそこにいるとわかったんですね。困ったときは、人がいないときは『お父さん、お母さん、迎えに来てください、助けに来てください』って」
中国在住37年 戦後在住36年 一時帰国を永住帰国に切り替える
証言者プロフィール
1944(昭和19)年 10月14日生まれ 黒竜江省(コクリュウコウショウ)牡丹江(ボタンコウ)で生まれる
1953(昭和28)年 9歳 養父の会社が倒産 養父は夜逃げ 養母と2人で苦しい生活を送る
公安局の人が来て、自分が日本人であることを知る
(不詳) 師範学校を卒業 小学校の教師になるが不便な山奥に配属される
(不詳) 校長の紹介で結婚(子どもは3人)
1972(昭和47)年 日中国交回復後、日本人として登録
1973(昭和48)年 牡丹江(ボタンコウ)の林業高校に転勤
1979(昭和54)年 牡丹江市内の食料関連の会社に転職
1980(昭和55)年 中国に来た新聞記者と出会い、その新聞記事から肉親と思われる人が現れる
1981(昭和56)年 一時帰国 3人の子どもと帰国するが、DNA鑑定の結果別人と判明 家を追い出される
1982(昭和57)年 入管で日本人と認めてもらえず、弁護士の先生のおかげで日本国籍を取得
1984(昭和59)年 夫を呼び寄せる その後、養父母も呼び寄せるが、3か月で中国へ戻る
1996(平成8)年 12月 中国から来た訪日調査の通訳をした直後、奇跡的に姉と再会(*)
2007(平成19)年 帰国者支援の裁判を起こすが、高齢化や言葉の問題もあり和解
インタビュー 2016年1月16日 71歳 場所 NPO法人「中国帰国者 日中友好の会」事務所
*姉との再会:証言では2004年だが、勘違いと思われるので、意見陳述書に依り1996年とした
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