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​(16)終戦前、父親が白山郷開拓団の団長 古源さん

2016年8月28日から9月3日まで、北陸でインタビュー。『旧満洲国 白川郷開拓団 8月27日』(石川県教育文化財団発行)第5章生還者が語る「八月二十七日」と「引き揚げ」に写真提供。満蒙開拓青少年義勇軍で1年だけ満州で暮らす。

​昭和18年から19年の秋まで、父親が白山郷開拓団の団長をしていた。ご自身でカメラを持ち、現像し、日本に送っていた。当時の満洲の様子が窺える貴重な写真の数々を写させていただきました。公開し多くの人に見ていただきたいとのことです。近日中に公開予定。

​大正15年生まれ。インタビュー時90歳。石川県生まれ。昭和16年3月から17年の6月まで内原訓練所に行った。14歳の時、250人編成の高野中隊、満蒙開拓青少年義勇軍で満州に行った。開墾などをやった。勃利大茄子訓練所で開墾や野菜、麦作り、家畜の餌作り、軍事訓練、銃剣術などをやった。父親がその訓練所の総務部長、兄はジャムスの林業。義勇隊の開拓団に入植するわけだが、獣医がいなかったので、日本で獣医師の免許を取って来いという事になった。松任農学校で獣医手の免許をとり、20年3月に卒業した。7月初旬に現地徴集されるが、三方隊で終戦。父親は昭和18年、白山郷の開拓団長に就いていた。しかし、19年秋病気で内地に帰国。父親とは5か月しか一緒にいられなかった。就職で家を離れた。兄はジャムスからチチハルに行き、ソ連に抑留されマンチューリから2年ほどで帰国。終戦後は、県の畜産試験場に勤務。1男2女に恵まれる。
白山郷開拓団の集団自決について。父親が「わしが団長をしておれば、あんなことにはならなかった。」と、言っていた。柔軟な考えのリーダーがいれば、違っていたはずだ。
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