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ワ  大友愛子さん (『孤児編 上』証言39)  東京都

「樺太がソ連の領土になったから。手続き始めてから、一時帰国まで8年もかかったんだよ。当時は樺太で生まれた人の戸籍謄本は6つの村の分しか外務省は保管してなかったみたい」

 

中国在住50年 戦後在住45年 一時帰国から永住帰国まで6年

証言者プロフィール

1933(昭和8)年 南樺太にある豊原支庁留多加(るたか)郡留多加町で生まれる

1940(昭和15)年 7歳 家族で渡満 南靠山屯(ミナミコクサントン)開拓団へ 小学校に5年間通う

1945(昭和20)年   12歳 8月終戦 方正(ホウマサ)の収容所へ 11月父が死亡

           12月  母や弟、下の妹と共に中国人の家へ  姉と上の妹も各中国人の家へ行く

1949(昭和24)年 16歳 前年の3月に母が死亡 のち結婚(子どもは6人)

1951(昭和26)年 18歳 長女が誕生

1984(昭和59)年  51歳 1人で一時帰国 11か月滞在

1990(平成2)年 4月 57歳 夫と共に永住帰国(国費) その後、長男夫婦と子ども、弟の奥さんを呼び寄せる(私費)

          職業訓練校に1年間通い、デパートの仕事に就く

          北海道で行われる「南靠山屯開拓団慰霊祭」に度々参加 現在、東京足立区に居住

 

インタビュー 2016年1月22日 83歳  場所 証言者のご自宅

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