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T 斎藤ヨネ子さん  ( 『 孤児編  上』 証言36 ) 埼玉県

「残されたのは、お母さんと3人の弟と私。お母さんは、終戦のとき、開拓団の井戸に、自分で身を投げて死んじゃって。6歳の弟もさ、一緒に、抱っこして死んじゃった」

 

中国在住45年 戦後在住39年 一時帰国から永住帰国までの年月不明 

証言者プロフィール 

1934(昭和9)年 埼玉県小鹿野(おがの)町で生まれる

1939(昭和14)年 5歳 両親、兄、弟の5人で渡満 小八浪(ショウパラン)中川開拓団へ 満州で弟2人が誕生

1945(昭和20)年 11歳 終戦 父と兄は戦争で死亡 母と6歳の弟は井戸に身を投げて死亡 

           9歳の弟は逃避行中に襲撃され死亡 3歳の弟は行方不明 1人になる 

           おじ、おばと一緒に逃避行 方正(ホウマサ)へ その後、中国人の養父母の家へ行く

1951(昭和26)年 17歳 結婚(子どもは6人) 農業で生活

  (不詳)     1人で一時帰国(国費)

1984(昭和59)年頃  50歳頃 永住帰国 (本人と15歳の三男は国費、長男夫婦と孫3人は自費)

            帰国時、夫はすでに中国で死亡  その後残りの子どもたちを呼び寄せる(自費)  埼玉県小鹿野町に住む 

2010(平成22)年   長男夫婦と中国の開拓団跡地へ行き、住んでいた家の庭の土を持ち帰り、墓に入れて供養

   

インタビュー 2013年11月 79歳  場所 証言者のご自宅

 

 

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