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 No.40  伊波盛吉さん  ( 『孤児編  下』 証言59)  沖縄県

​「学校で運動会だなんだあるとき、資料うちに持ってきても、2人とも見てもわからない。わからないから子供が泣いて、自分ら2人も泣きました。『どうしよっか』って。これ(辞書)ボロボロになってます。この辞書で勉強しました」

​中国在住40年 戦後在住37年 最初から永住帰国

証言者のプロフィール 

1941(昭和16)年 4月5日 沖縄に生まれる 父は農業、軍隊に入ったこともある

1942(昭和17)年 1歳前に 両親と3人で渡満

           三江省(サンコウショウ)伊漢通(イカンツウ)開拓団へ

           その後、父は召集され、終戦後シベリヤへ行き、昭和22年帰国

1945(昭和20)年 4歳 終戦 母と弟と逃げる途中、中国人にさらわれ、その後何回も売られる 

           次男の弟は栄養失調で、三男の弟は生まれてすぐに亡くなり、12月に母も亡くなる

   (不詳)    8歳頃  自分が日本人だと養母から聞く

1953(昭和28)年 12歳 養父が亡くなる 遠くからお酒とあめ玉を買って来て、部落で売って暮らす

1959(昭和34)年 18歳 ストアを作って商売をする その後、国営スーパーになり地方公務員になる

           映画技師、職員の食堂の手伝いなどをして養母を養う

1963(昭和38)年 22歳 結婚(子どもは4人)

1967(昭和42)年 26歳 文化大革命で身の危険を感じ、中国籍取得

1972(昭和47)年 30歳 日中国交回復後、日本大使館に手紙を書く

1982(昭和57)年 2月 40歳 第2回肉親捜しで父親が判明 妻と4人の子どもと共に永住帰国 

           父親の花農家の手伝い、自動車整備工、中華料理店などの仕事に就く 

           妻も介護の仕事を18年間続ける

          

インタビュー 2017年1月25日 75歳  場所 証言者のご自宅  

 

 

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