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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.37 浅黄千代子さん ( 『孤児編 上』 証言9 ) 山形県
「それから中国のお養父さんが来て、お母さんと何か話をして、私たちを連れて行った。もう、あのとき行かないと、きっと2人とも死んでいました」
中国在住32年 戦後在住30年 一時帰国なしで永住帰国
証言者プロフィール
1941(昭和16)年 福島県で生まれる 父は軍人
1943(昭和18)年 2歳 家族で渡満 依蘭県(イランケン)の広富山(コウフサン)南都留郷(みなみつるごう)開拓団へ
1945(昭和20)年 4歳 5月に父が病気でハルピン医科大学病院で亡くなる
8月 終戦 母と2歳の弟と共に逃避行の末、方正(ホウマサ)の郊外へたどり着く
冬に弟は寒さと飢えで亡くなり、母は中国人と再婚 養家で共に暮らす
弟3人、妹1人が生まれ、弟妹は現在大阪に住む
1960(昭和35)年 19歳 結婚(子どもは5人)
1963(昭和38)年 22歳 母が47歳で亡くなる
1975(昭和50)年 4月 34歳 夫と子ども5人の家族7人で永住帰国(国費)
インタビュー 2016年11月3日 75歳 場所 証言者のご自宅
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