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No.8  村田日出子さん ( 『孤児編 下』 証言43 )京都府

「(主人は)日本に来てからは、何遍も中国に帰ってたわ。『年を取ったら中国に帰って死にたい』って言って。私もそう思ってね、『自由に帰りなさい』って言った。(中略)いつもいつも1年に1回帰って。とうとう向こうで亡くなった」

 

中国在住50年 戦後在住49年 一時帰国から永住帰国まで18年

(​お詫び:申し訳ありません。一部失ったデータがあり、見られない所があります。取材に協力してくださった帰国者、支援者の皆様には、心よりお詫び申し上げます。)

証言者プロフィール

1933(昭和8)年 10月 京都で生まれる

1944(昭和19)年 11歳 父、兄と3人で渡満 

           吉林省(キツリンショウ)樺甸県(カデンケン)保安屯 (ホウアントン)廟嶺(ビョウレイ)京都開拓団へ

                               母は日本で妹を出産後、11月に弟2人と妹を連れて渡満 

                               妹はミルクがなくて死亡 下の弟は水にあたって死亡

1945(昭和20)年 12歳 終戦 逃避行の途中で上の弟と母親が、撫順(ブジュン)の収容所で父と兄が死亡

           日本人女性に中国人に売られる

1950(昭和25)年 17歳 養父母が決めた人と結婚

(文化大革命の頃)  夫が死亡 農村に下放され、そこで再婚(子どもは女の子2人と男の子3人)

(日中国交回復後)  山本慈昭氏の協力で日本に住むおじが見つかる

1976(昭和51)年 息子2人を連れて一時帰国 おじの家に6か月滞在し、中国に戻る 

                               永住帰国を希望したが保証人になる人がおらず18年過ぎる 

                               自ら瀋陽(シンヨウ)の日本領事館に行き帰国が可能になる

1994(平成6)年 61歳 夫、息子2人と共に永住帰国

 

インタビュー 2016年4月18日 82歳  場所 証言者のご自宅

 
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