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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
ヤ 牧 國子さん ( 『孤児編 上』 証言24) 長野県
「実はうちのお母さんは字が書けれんのよ。あの頃、手続きも難しかったの。当時、泰阜村で最初の保健婦をやっていた中島多鶴さんが、いろいろなとこに行って、手続きしてくれて」
中国在住35年 戦後在住30年 一時帰国なしで永住帰国
証言者プロフィール
1937(昭和12)年 長野県下伊那郡泰阜(やすおか)村で生まれる
1940(昭和15)年 3歳 両親と3人で渡満 兄は泰阜村の祖母の所に残る
1945(昭和20)年 7歳 終戦 方正の収容所に入る 12月に父が死亡
1946(昭和21)年 8歳 母と2人で中国人の家に入る
1950(昭和25)年 12歳 継父が病死し、母は再婚したが、後に離婚
1956(昭和31)年 18歳 日本人孤児と結婚 母は再々婚する
1972(昭和47)年 日本に残っていた兄が身元保証人となり、母が帰国
1975(昭和50)年 38歳 夫と子ども5人と共に7人で永住帰国
インタビュー 2013年9月15日 75歳 場所 証言者のご自宅
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