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証言  クさん残留婦人

2013年7月から12月まで。長野県・埼玉県・神奈川県・東京都在住の中国残留孤児・中国残留婦人・中国残留邦人へのインタビューです。

チャーズ(八路軍と国民党軍の対立による長春の封鎖。詳しくは、遠藤誉氏の「チャーズ」に書かれている)の中を生き延びた経験を持つ。
 大正14年生まれ。インタビュー時88歳米寿。九州日田の出身。12歳から工場で働いていた。両親に借金があり、妹と一緒に満州の旅館で3年働いて欲しいと言われ渡満。1年半で終戦。給料は最初の1年だけ貰え、親に仕送りした。
 終戦時、玄関と裏口から中国人が襲ってきて、用意していたリュックも中国人に奪われた。裸足で逃げた。
ソ連兵が入って来て、料理屋に勤めていた女性が犠牲になってくれた。ハルピンも洪水のようになっていた。鉄道がとおって新京の収容所に行った。日本の兵隊がシベリア送りになる列車をたくさん見た。収容所では餅売りをしたが元金も取れない内に自分たちで食べたりしていた。いよいよ食べられなくなり、中国人と結婚した。夫はペンキ屋だったが仕事がなくて野菜を売り歩いたりした。
 チャーズ。最初の頃は食べられる草もあったが、すぐなくなり、人の肉を食べることもあったが、そのうちそう言う元気もなくなり、死ぬのを待つばかりだった。脱出することを決めたら元気が出た。一晩中歩いて助かった。チャーズには3週間くらいいた。
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