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証言 Eさん残留婦人

2013年12月。埼玉県在住の中国残留婦人へのインタビュー

 インタビュー時92歳。昭和15年に渡満。父親は55歳で、元は警察官だったが、法律の仕事をしていた。満州にいったら、本部の事務員がいなくて、手伝うことになった。作物は関東軍の兵隊のために出荷させられた。行って3年たたないうちに、男達は戦争に招集され、女と子どもと年寄りだけになった。行って5年で終戦。

 終戦時、喰うものも履くものもなかった。大根の葉っぱを食べて生きてきた。父親に「命があればいつかは帰れるんだから、死ぬな。」と言われた。病気の父を助けたいと思って中国人家庭に入ったが、父親も亡くなり、家族は誰もいなくなった。中国人家庭は貧しかったが、そこで一生懸命生きてきた。いつか祖国に帰りたかった。62歳で帰国。帰ってきても国は冷たかった。親戚に世話になるために帰ってきた訳ではないのに、「お帰りなさい」を言う人もいなかった。「満州へ行った人はテメエが好きで行ったんだ」と言う人もいた。苦しい中、やっと這い上がって生きてきたのに。政府にアンケートなんて書かされたけど、今頃そんなものを書いても何にもならないと思った。関東軍の兵隊のために開拓団は頑張ったのに、今までほっぽらかしにされたんだから。帰国して一番大変だったのは「言葉の壁」 。日本に帰ってくるために生きてきた。はじめのうちは、親を憎み、国を憎んだけど、今は戦争だけを憎んでいる。戦争さえなかったら、私達はこんな思いをすることがなかった。若い人に言いたいこと。「戦争は恐ろしい。何があっても戦争はしちゃいけない」

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