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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
(18)『沖縄と「満州」』の著者、山内るりさんと比屋根美代子さん
2017年1月20日から2月2日まで、沖縄でインタビュー。「顔はちょっと」という事で、音声のみ。画像はホテルの喫茶ルームです。
著者の山内るりさんは、この本を書くために、数年前、満蒙開拓平和記念館を訪ねられた。今回、沖縄訪問前に、記念館の方からそのことを伺い、著者に会いたいと思うようになっていた。記念館の方が、山内さんにお手紙を書いてくださり、沖縄滞在中にご返事が来るかどうか、不安でしたが会う事が出来ました。また、沖縄満洲会の名城先生からも、比屋根美代子さんにお会いしたらいいと電話をしてくださったりしたのだった。お二人でホテルまで来てくださり、あっという間に気が付いたら6時間も話し込んでいました。多くの示唆に富むお話でした。彼女たちが長い年月と労力をかけてやってきたことは、社会教育の分野でも十分注目に値する業績です。すこし高い本ですが、是非、地元の図書館や大学にリクエストして、手に取っていただきたいと思います。ハサミとノリで切り張りして書いた本ではありません。30年間かけて、300人以上の関係者に取材して、ジグソーパズルのピースをひとつひとつ埋めていくようにして、沖縄の中の満洲(一般開拓民)を完成したのです。
30年前の1987年に首里公民館の女性史講座、7,8名からスタートした。
講座が終わってから、独自に基本的な女性史関係の基礎勉強をした。そして、自分たちの独自のテーマを勉強しようという事になった。「女子挺身隊」と「戦時女子労働」について、調べることになった。1992年に全国女性史交流の集いがあり、その時に、県内の慰安所マップを調査して作り発表した。全国から反響が大きかった。1995年頃『大陸の花嫁』を読んで、「満州をやろう」と提案した。沖縄には資料が焼けてしまってないので、5人で2年間、満州に関する新聞記事を拾う作業をした。そこから取材をして、『沖縄県と満州』を2004年に出版した。それぞれの家庭の事情があっても補い合いながら続けた。取材中、気の付いたこととして、沖縄では満州引揚者に対する差別がなかった。満州からの引き揚げ者は、沖縄が焼け野が原になっていて、自分の辛さを語ることに引け目を感じるような自己規制が働いていたが、戦後50年たって、やっと語れるようになって語ってくれた。
今後は、まず目の前の一般開拓団以外の方々の事をまとめなくてはならないと思っている。
マイペースで楽しいからやってきた。義勇隊の方が私にとっての先生だった。満州を勉強していると、今の沖縄の時事問題がクローズアップされてきたと思う。2冊目を出す責任があると自覚している。何もできなかった自分がたくさんの証言を聞かせていただいて代弁者になれたかな。後世の人に使っていただければ嬉しい。
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