アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
R 牧内春重さん ( 『 孤児編 上』 証言26 ) 長野県
「満州に行くきっかけはわからないけど、役人が来て、百姓を集めて、1週間ぐらい話とった。お母さんは、絶対反対なもんで、最後は、離婚して、お父さんと私だけ、満州に行ったの」
中国在住42年 戦後在住42年 一時帰国後2年で永住帰国
証言者プロフィール
1935(昭和10)年 3月 長野県飯田市川路(かわじ)で生まれる
1945(昭和20)年 3月 10歳 母は渡満に反対し離婚 父と2人で渡満 濃々河(ノウノウカ)飯田郷開拓団へ
4月 開拓団の小学校5年生に入り、数か月通う
6月 父親が召集され、隣の家に面倒を見てもらう その後、父は消息不明
8月 終戦 開拓団と共に1人で逃避行を続け、9月末 濃河鎮(ノウカチン)の収容所へ
12月 中国人の養父母に引き取られる
1949(昭和24)年 14歳 中国の小学校へ入学 小中学校の課程を数年で終了
1953(昭和28)年 18歳 機械の専門学校へ入学 2年で卒業
1955(昭和30)年 20歳 哈爾浜[細井1] で機械作りの工場に就職
1957(昭和32)年 22歳 専門学校同級生の中国人女性と結婚(子どもは4人)
1961(昭和36)年 26歳 文化大革命の影響で地方工場へ異動 子どものいじめもあり、帰国を考える
その後、近くにいる開拓団での知り合いを通じて日本に手紙を書き、身元が判明
1985(昭和60)年 50歳 一時帰国 妻、次男夫婦、三男と5人で帰国 母親とも再会
1987(昭和62)年 52歳 娘夫婦、孫、長男の嫁と共に永住帰国
1989(平成元)年 54歳 残りの家族全員が帰国 長野県飯田市に住む
プレス工場に勤務し、事故で指をなくすも、定年後も70歳まで勤務
インタビュー 2013年9月15日 78歳 場所 証言者のご自宅