top of page

No.46 木村琴江さん  ( 『 孤児編  下』 証言54 )  福岡県

「中国語で話ができて、中国の食べ物が食べられる老人ホーム。中国語や日本語が話せる二世や三世の人も、そこで仕事ができる。そんな老人ホームが欲しいって、今考えてます」

 

国在住43年 戦後在住41年 一時帰国から永住帰国まで9年

証言者のプロフィール

1943(昭和18)年 1月 間島省(カントウショウ)琿春県(コンシュンケン)で生まれる 

            父はシベリアへ出征 戦後帰国して青森県で亡くなる

1945(昭和20)年 2歳 終戦 母親は子どもたちを連れて逃避行の末、西太廟 難民収容所へ  

           母が頼んだ、日本語がわかる中国人の王さんに引き取られ、本人1人だけ生き残る 

           3か月後、王さんの妹の家に引き取られ、養父母と義姉と暮らす  

                             7歳頃 養母が亡くなる

1953(昭和28)年 10歳 初めて自分が日本人だと知る

1959(昭和34)年 16歳 鉄道会社に就職 乗務員として働く

1962(昭和37)年 19歳 王さんの息子と結婚(子どもは4人)

1977(昭和52)年 34歳 一時帰国 青森の長兄の所に5か月滞在、叔母と会う 

1986(昭和61)年 43歳 夫、子ども4人と共に永住帰国(国費)  帰国後娘が1人亡くなる 

1988(昭和63)年 福岡市内で中華料理店を開店

2002(平成14)年 11月 裁判を始める

2003(平成15)年 60歳 「帰国者の会」を立ち上げ、「支援法」制定へ全力を注ぐ

 

インタビュー 2017年5月17日  74歳  場所 証言者のご自宅

 

bottom of page