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証言 No.10さんの場合

2016年4月 関西に住む中国残留孤児・婦人にインタビュー。データがいくつか壊れてしまったか、操作ミスですべてのインタビューを掲載できません。電気屋さんにSDカードを預けデータの復元を依頼しましたが、失ってしまったデータが一部あることをご了解いただいて、見ていただけたらと存じます。取材に協力してくださった帰国者の皆様、支援者の皆様には、大変申し訳なく、お詫び申し上げます。

 残留婦人2世。18年前、48歳の時、自費帰国。4人の子供を連れて6人家族で日本に来た。孫は8人いる。母は21年前に国費帰国。文化大革命の時、大学に行きたかったが、母親が日本人で、行けなかった。5年間、下放政策で農村に行かなくてはいけなかったが、1972年、免除になって、3年間で終わった。都市の工場で働けるようになった。文革の時は、兄弟もいじめられた。農村は辛かったが、工場は楽しかった。炭鉱の事務所の仕事、ビールの会社、郵便局の仕事などした。
 天安門事件の1年前に母親は日本に帰った。お母さんは祖国に帰れて幸せだと思った。日本に来て初めて日本語の勉強は大変だった。昼仕事で夜は春日夜間中学で勉強した。漬物会社に3年間勤め、病気になり、仕事辞めた。その後生活保護。日本の生活習慣を勉強した。
​戦後71年、今は大丈夫。
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