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No.34  伊藤伝助さん  ( 『 孤児編  上』 証言13 ) 山形県

「俺の母親が、方正を離れる前に俺のもらわれて行った部落に、俺ば見に来たの。来て、住所と兄貴の名前、兄弟の名前書いて、『書いてたけ、なくすな』って。それをずっと持ってたから、そこに手紙を出して帰れた」

 

中国在住30年 戦後在住27年 一時帰国なしで永住帰国 支援金は受給していない 

証言者プロフィール

1935(昭和10)年 山形市船町で生まれる 祖母、両親、兄2人、本人、妹の7人家族

1942(昭和17)年 7歳 渡満 依蘭県北靠山屯(キタコクサントン)村山開拓団へ 弟が生まれる

1944(昭和19)年 7月祖母が死亡

1945(昭和20)年 10歳 3月父親が召集 8月終戦 10月方正の部落で弟が死亡

1946(昭和21)年 1月頃中国人の家にもらわれる 母と妹はハルピンの収容所で死亡 

           兄2人は中国人の地主の所で働いた後、10月ごろ船で帰国

1959(昭和34)年 残留孤児(証言14伊藤満子さん)と結婚(子どもは5人)

1960年代     母のメモに書かれていた日本の住所に手紙を出し、帰国していた兄と連絡がつく

1972(昭和47)年 37歳 国交回復の3か月前に公安局で帰国手続き 10月21日永住帰国(国費)

帰国第1号  兄の所で大工を8年、鉄工所で3年、60歳までアルミの会社、65歳まで建設会社で働く

 

インタビュー 2016年11月2日 81歳  場所 証言者のご自宅

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