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アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
No.33 寺崎平助さん ( 『孤児編 上』 証言15) 山形県
「日本に帰って来て、すごい幸せと思ってる。中国にいたときの会社、2,000人の大きい会社だった。同じぐらいの年の人、みんなもう亡くなった。でも、私日本に帰って来たから、今、まだ生きてる」
中国在住40年 戦後在住39年 一時帰国から永住帰国まで3年
証言者プロフィール
1936(昭和11)年 1月22日 横浜で生まれる 家族は両親、兄、姉、本人、弟の6人
1944(昭和19)年 8歳 渡満 九江(キュウコウ)神奈川開拓団へ
1945(昭和20)年 9歳 終戦 ハルピンの収容所で継母が死亡 姉は中国人の所へ
撫順(ブジュン)の収容所で弟と父が死亡
1946(昭和21)年 10歳 中国人の養子になる そのとき病気だった兄のその後の消息は不明
養父に毎日食べ物を盗みに行かされ、毎日叩かれる
1947(昭和22)年頃 別の中国人に弟として引き取られる その後夜間中学で勉強
1957(昭和32)年 21歳 結婚(子どもは4人)
1958(昭和33)年 22歳 撫順市の優秀技術者として表彰される
1981(昭和56)年 妻と末子と共に一時帰国(国費) 神奈川のおじの所で9か月過ごす
1984(昭和59)年 48歳 永住帰国(長男は自費 次男、長女、末子は国費)
身元引受人が住む山形県寒河江(さがえ)市に住む
その後一時家族で大阪に転居したが、定年退職後山形に戻る
インタビュー 2016年11月2日 80歳 場所 証言者のご自宅
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