アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言
【ライフヒストリー全体を通して、書籍と動画、二つの媒体で証言を残す試み】
G 丹羽千文さん ( 『孤児編 上』 証言33 ) 長野県
「私はな、日本へ帰れるちゅう『お知らせ』があったときからな、日本の名前はそのまま。『中国の名前は要らん』ちゅうて、それから使わんようになったの。日本に帰れるときのために、自分の名前を捨てないで、そのまんまにしたの」
中国在住50年 戦後在住45年 一時帰国後、永住帰国まで13年
「私はな、日本へ帰れるちゅうお知らせがあったときからな、日本の名前はそのまま。『中国の名前は要らん』ちゅうて、それから使わんようになったの。日本に帰れるときのために、自分の名前を捨てないで、そのまんまにしたの」
中国在住50年 戦後在住45年 一時帰国後、永住帰国まで13年
証言者プロフィール
1933(昭和8) 年 11月 長野県飯田市鼎(かなえ) に生まれる
1940(昭和15)年 6歳 両親、姉、弟と共に5人で渡満
新立屯(シンリットン)上久堅村(かみひさかたむら)開拓団へ その後、弟が生まれる
1945(昭和20)年 11歳 終戦 父が最後の召集で出兵 ソ連軍の略奪、中国人の襲撃に遭う
母、姉、弟2人と共に逃避行の末、濃河鎮(ノウカチン)の収容所へ 母と下の弟が死亡
1946(昭和21)年 12歳 1月 姉と弟とは別の中国人の家に売られる 姉と弟は翌年帰国
1949(昭和24)年 16歳 中国人と結婚(子どもは3人)
1952(昭和27)年 18歳 2月 長男誕生
1977(昭和52)年 44歳 12月 一時帰国 姉と会う
1990(平成2)年 56歳 5月 夫、子ども1家族(4人)と共に永住帰国(夫婦だけ国費)
1992(平成4)年 58歳 残りの子どもどもたちを呼び寄せる(自費)、同じ会社に転職
1994(平成6)年 60歳 電子部品工場で定年を迎え、その後、近くの病院で4年間働く
インタビュー 2013年9月14日 79歳 場所 長野県の証言者のご自宅